端午の節句の子どもの日といえば、こいのぼりを飾る習慣がありますよね。
青い空にこいのぼりがなびいている様子を思い浮かべると思います。
なぜ、こいのぼりを飾るのでしょうか。
また、この習慣はどのようにして生まれたのでしょうか。こいのぼりの由来や意味を紹介します。
こいのぼりとは
こいのぼりは、現在は新暦の5月5日に向けて飾られる鯉の形を模した「のぼり旗」です。
端午の節句を祝う時期が違うので、地方によっては、旧暦の端午やひと月遅れの新暦の6月5日とするとこともあります。
もともと江戸時代の武家で、端午の節句の旧暦5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男の子の出世と健康を願って家庭の庭先に飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼりです。
こいのぼりは、皐幟(さつきのぼり)や鯉の吹き流しともいいます。
こいのぼりの意味は?
こいのぼりは、中国に古くから伝わる故事の登竜門の伝説になぞらえて、「竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち将来は大きく出世して欲しい」と気持を込められています。
また、「わが家に男の子が生まれました。どうぞお守りください。」と天の神様に伝え守っていただく意味があるとも伝えられています。どちらも、子どもの幸せの願いがこめられていますね。
こいのぼりの由来は?
こいのぼりの起源は、旗指物
江戸時代に定着したこいのぼりは、当時は鯉のぼりではなく「武者のぼり」と言われる物でした。
武者のぼりは、起源が戦国武将の「旗指物」にあるとされています。旗指物とは、武士の軍旗で、これが江戸時代になって絵のぼりに変化しました。
戦国時代が終わると、武家社会では、先祖伝来の武具はお祝いの儀式に用いるようになります。
端午節句では、厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となっていました。
この日、武士の家庭では、 虫干しも兼ね先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物を飾りました。
絵のぼりは、庶民がその風習を真似た事が始まりとなり、日本全国各地で立てられるようになりました。
武士の軍旗であった旗指物は家紋だけが描かれているのに対して、絵のぼりは「子どもに幸せな人生を送ってほしい」という願いがこめられた武者絵が描かれたころから「武者のぼり」と呼ばれました。
こいのぼりの誕生
こいのぼりは、江戸中期に町人によって生み出されました。
絵のぼりに「鯉の滝のぼり(登竜門)」という定番図柄があり、それを立体におこして絵のぼりの小さな付属品としたのが、鯉のぼりの始まりです。
今の時代では、立体型の鯉のぼりが一般的ですが、明治初期までは武家社会の名残りか、絵のぼりが外飾りの主流でした。
明治初期までのこいのぼりは、真鯉一匹だったのが、明治後期に緋鯉などが追加され、戦後にはカラフルになり、数も複数になっていきました。
こいのぼりの変化
元は黒い真鯉のみだったものが、明治時代から真鯉と緋鯉の対で揚げるようになり、昭和時代からは青い子鯉を添えて家族を表したものが主流になりました。
現在の鯉のぼりは「真鯉=父親、緋鯉=母親、青い鯉=子供」の3匹が一般的です。
吹き流し、天球、矢車の意味
こいのぼりは、さおの先に天球、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上にして真鯉、緋鯉等を大きさの順に並べて揚げるのが一般的になっています。
五色の吹き流しには、魔除けの意味があり、中国の陰陽五行説に由来しています。
天球は、神様にわが子の存在を気づいてもらえるようにするため、矢車は、どこから「魔」が来たとしても、射貫くことができるようにという意味があります。
まとめ
こいのぼりは、旗指物であったものが、時代とともに形をかえ今の姿になりました。
こいのぼりを端午の節句に飾るのことは、子どもの健やかな成長と立身出世の願いが込められている素敵な風習です。
最近の家庭では飾ることが少なくなってきているかもしれませんが、見た目にも楽しいものですので、是非お祝いとともに用意してあげたいものですね。