ゴッホの名画「ひまわり」は同じ構図が7枚も? 激情の画家が“太陽の花”に求めたものとは

ポスト印象派を代表する巨匠、フィンセント・ファン・ゴッホ。画業に全精力を注ぎ、数々の名作を手掛けながらも精神を病み、自ら耳をそぎ落としたうえに命まで断った激情の画家としても知られる彼の代表作は?
間違いなく、「ひまわり」の名を挙げる方が大半を占めることになるだろう。ゴッホといえばひまわり――。そんなイメージが強いことから、彼は向日葵の画家と呼ばれることもある。

ゴッホは約10年間の短い画家生活のなかで、ひまわりをモチーフにした作品を11点制作した(12点という説もある)。ゴッホにとってのひまわりは、自らを映す鏡のようなものであり、夢や希望の象徴だった。精神的に不安定だったゴッホは、心の空洞を埋めるために、好んでひまわりの絵を描いたといわれている。
11点の作品のうち、テーブルの上に置かれたひまわりを描いた4点はパリ時代に制作されたもので、一般的な知名度はそれほど高くない。いわゆるゴッホのひまわりとして認知されているのは、パリでの生活に疲れ、1888年2月に南仏のアルルに移り住んだのちに描いた7点(1点は第二次世界大戦中に日本で焼失。現存するのは6点)。これらはすべて、花瓶に活けられたひまわりが主役となっている。

7点すべてが「花瓶に活けられた花」

7点の「ひまわり」は、花瓶に活けられた花の輪数や背景の色など、それぞれが独自の趣をたたえているが、テーブルの上に置かれた花瓶と、そこから顔をのぞかせるひまわりの花を画面中央に配す構図はほとんど同じ。とりわけ後半に制作された5点は、全体像が非常に似通っている。ゴッホはいったいなぜ、似たような構図の「ひまわり」を連続して手掛けたのか?

本人がその理由について語った記録はないため、真相は謎に包まれているが、ゴッホの特異な性格や、物心両面で彼を支えていた弟テオに宛てた手紙の文面などから、おおよそのいきさつを推測することはできる。
理由の1つとして濃厚なのは、絵画技法の研究のため。色づかいやタッチを微妙に変えつつ、同じ構図の絵を描くことにより、効果や見栄えを比較していたことは想像に難くない。現代風に端的に表現すれば、ひまわりにハマり、ひまわりを究めることに心血を注ぐと同時に、絵描きとしてのウデを上げようとしていたということだ。また、この当時に「クロムイエロー」という新色の絵の具が開発され、その使い勝手を試すためにひまわりをモチーフにした黄色を基調とする作品に一時的にこだわっていた、という説もある。

ゴーギャン到着後もひまわりに固執

もう1つ確実視されているのは、のちにアルルのアトリエ(通称:黄色い家)に一緒に住み、共同制作をすることになるポール・ゴーギャンを迎え入れる部屋を装飾するため。ゴーギャンにラブコールを送り続けていたゴッホが、部屋全体をひまわりの絵で埋め尽くすことを計画していた事実は、テオ宛ての手紙に記されている。ひまわりは夏の花。ゴーギャンが到着する10月までに完成したのは4点にとどまり、ひまわりが咲くシーズンはとうに過ぎてしまったが、結果的に自らの作品に納得したゴッホは、それ以降もひまわりの絵を描き続けた。現物のひまわりを見られない時期にはお気に入りの一枚を模写したため、ほぼ同じ構図の作品が存在するのである。

その生涯はわずか37年。画家として本格的に活動したのは後半の10年のみ。にもかかわらず、ゴッホは人種、性別、年齢を問わず、多くの人々の心を打つ名作をあまた世に送り出した。
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