80年代を駆け抜けたRCサクセション、そして忌野清志郎

 1980年、「雨上がりの夜空に」発売記念の渋谷・屋根裏4daysからRCサクセションの快進撃ははじまった。翌年には武道館公演、年100本に及ぶツアー、忌野清志郎&坂本龍一の「い・け・な・いルージュマジック」のヒット、『COVERS』の発売中止事件、タイマーズのゲリラ的活動と、91年にバンドとしての活動を休止するまで、RCサクセションは走り続けた。彼らがいなければ、日本のロックはまったく違っていたかもしれない。12月25日に発売となった『宝島AGES』では、「80年代を駆け抜けたRCサクセション」と題し、忌野清志郎にスポットをあてた特集を行っている。(写真/有賀幹夫)

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 忌野清志郎発言集
「成長とかキライだもん。進化とか成長とかいうのは、ナマイキだ」(『宝島』80年10月号)

(日比谷野音でのライヴMC)
「俺ン家の庭だと思って楽しんでってくれ」(『宝島』81年8月号)

(『夜のヒットスタジオ』で本番中に暴れたことについて)
「本番までに色々モメ事とかあるんだよね、音なんか二の次って感じじゃない。あーゆーところは。ついやっちゃう」(『宝島』82年8月号)

(R&Bについて)
「昔のリヴァプールの連中とかがオーティス聴きつつ、自分達の音楽作ってってたのと同じだと思うのね、俺達も。」
「メジャー、マイナーってくだらないと思うんだ。皆、売れる前はマイナーでしょ」(『宝島』82年8月号)
「詞書いてる時、グチャグチャくだらないフレーズいっぱい書きなぐって自分でゲラゲラ笑ってる(笑)」(『宝島』83年7月号)

(日比谷野音2daysについて)
「あの時は、特に客がすごかったなー。まだRCが今ほど普及してない時代で(笑)」(『宝島』83年7月号)

(「車のCMはもうやんない?」との問いに)
「だって、あそこは戦争中、戦車作ってた会社だよ」(『宝島』85年1月号)

(日本で初めて踊って歌うボーカリストでしたね、との問いに)
「当時は、そこら中ケガしてました。ライヴハウス狭いから、飛んだり跳ねたりして、生傷が絶えませんでした」(『宝島』90年5/9号)
「「雨上がりの夜空に」はチャボ君がコード進行とメロディーみたいの考えて、2、3日家に持ってって詞を僕が考えてね。出来たときは普通に自信がありました」(『宝島』90年5/9号)
「こうやってずっと歌ってこれたってのはね。一番日常とかけ離れた世界を職業にしてたことでしょう。イマジネーションの産物ですよね、歌は」(『宝島』90年5/9号)

 本誌では、付き人として出会い、その後は何年もミュージシャンとしていっしょに活動してきた三宅伸治さん、マネージャーとしてRCサクセションをもっとも良く知る片岡たまきさん、80年代の『月刊宝島』の編集長であった関川の座談会も掲載している。詳しくは、6ページからの「80年代を駆け抜けたRCサクセション」にてご確認いただきたい。

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